名古屋・東海ローカルCM 備忘録

名古屋を中心とした中京圏の70年代から90年代にかけて放送されていたCM動画を主に取り上げています。
動画サイトに数多アップされているCM動画を、自分が探しやすくするためのメモみたいなものです。
…のつもりで始めましたが、最近では単なる愚痴や共感を得られるあてもない儚い自己主張の場と化しています。

スカイル・栄NOVA

女がいて男がいて



38年前、1985(昭和60)年の『栄NOVA』さんのCMです。

そして、以前取り上げたことのある、名鉄常滑線柴田駅前にあった『クラブ友千鳥』さんのCM。



男と女の順番が逆になると、意味合いも変わってくるような気がするのは、これも私が偏見に満ちているからでしょうか。

オジサンだってオジサンだって複雑ね



名鉄 新組織で地域活性化に力 「スカイル」再開発準備へ 独自ブランド高級マンション都心部で拡大(中部経済新聞)

昔は今みたいにインターネットのサイトのようなものがなかったため、いろいろわからなかったことが多かったのです。「スカイル」に関しても、私が子供のころは、あそこが「スカイル」というビルであることはわかっているのですが、一般的には「丸栄スカイル」と呼ばれていたし、でも同じビルの中に名鉄の「メルサ」も入っている。さらにくっついて「栄NOVA」もあるが果たしてあれは「スカイル」と一体なのか、別物なのか。

種明かしをすれば、「スカイル」ビルを運営しているのは名鉄の子会社『栄開発』で、そこに『丸栄』が「丸栄スカイル」と「スカイル1番街」、名鉄が「栄メルサ」をテナントとして出店していたわけです(「メルサ」は今も残っています)。「栄NOVA」は「スカイル」とは分けられているがやはり『栄開発』のビルということ。

だから、今回の「スカイル」再開発の話題は、名鉄から発表されたというわけですね。

ただ、『名古屋三越』が入る向かいの「オリエンタルビル」再開発計画も一旦白紙化され、当の名鉄の名駅再開発計画も同様に見直しが発表されてしまった中で、果たして「スカイル」の再開発が実現するのは一体いつになるというのでしょう。期待と不安が入り乱れる中、でも私個人の “昭和オジサン” の気持ちとしては、「スカイル」は「スカイル」であり続けて欲しいとも思っていたりして、なかなか複雑です。

今年の夏は、来ない



『丸栄』さんに、今年の夏は来ないということになります。

このゴールデンウイークに8階大催事場で「鉄道模型展」が行なわれる予定ですが、そこで丸栄ビルのミニチュアが100個限定で販売されるそうです。これを知った瞬間「欲しい!」と思いましたが、初日に伺うことができません。よそ者の悲しみですね。

私には今年のゴールデンウイークが来ないということになります(笑)。

感・じ・る・街



『スカイル』内に『丸栄』さんが『スカイル1番街』と『スカイル館(丸栄スカイル)』を運営していたことを知っている方も、いずれ少なくなってしまうのでしょう。いや、そもそも名古屋に『丸栄』という百貨店があったこと自体が、今後過去の歴史の事実のひとつになってしまうわけです。

第二次百貨店撤退ブーム ~ 地方都市の中心が空洞化する(中村智彦)

「百貨店」と「専門店(街・ビル)」の区別が以前よりも曖昧になっていることは、以前話題にした通りです。それを考えれば、『丸栄』閉店後も、すぐ隣で、なおかつ一時は一体で営業していたとも言える『スカイル』『メルサ』『栄NOVA』は残るわけですから、これはあくまで『丸栄』という一企業の業態転換に過ぎないと捉えたらいいのだと思います。確かに以前に比べたら栄の地位は低下しているのかもしれませんが、じゃあそれが『丸栄』閉店の最大の理由かと言えば、明らかに違うと言っていいでしょう。でも、上の記事中などでもどさくさまぎれに『丸善』さんがあたかも栄から撤退しているかのような記述がなされており、こういったところにもちょっとした悪意を感じざるをえませんね。栄は落ちぶれたのだという結論ありきで、その理論武装のために様々な出来事が肉付けされているような感覚がしてなりません。栄という街のポテンシャルを考えれば、何か新しいムーブメントを提示できさえすれば、絶対に復権できるはずです。そして、「名駅か栄か」ではなく、「名駅も栄も」が名古屋の街の成り立ちである、ということにしてしまえばいいのです。そのためになんとか知恵を絞っていただきたいものです。(私は指を咥えて見ているしかできませんが)

名古屋の百貨店・丸栄閉店を憂う意外な人々(大竹敏之)

私も、何よりノスタルジー重視という人間ですので、『丸栄』という百貨店が撤退しても、丸栄のビルそのものを残しておけばいい、という気持ちになることもあります。でも、やはり百貨店なしに建物だけそのままで何かよい方向へと運が向くような気はしないのです。建物が貴重なので改装してでも残せと仰る方もいるのでしょうが、それだと最早、栄という街にとっては完全に意味がない方策となってしまいます。残すなら外観や設備の現状維持が第一条件です。改装しなければいけないのであれば建替あるのみです。

丸栄ビルの増築に携わった村野藤吾氏の建築物は、ほとんどが大阪を中心に西日本に存在しましたが、その大多数が失われています。特に大都市である大阪ではその傾向が顕著となっており、やはり同じ名古屋という大都市においては、同じ傾向を示してしかるべきですし、名古屋だけにそれまでの例とは違った方策をとるよう求めるのは、全くの不公平な話だと思います。


追伸:上には敢えて書きませんでしたが、ビルを後世にまで残したいのであれば。明治村方式しかないというのが私の本音です。でも果たして昭和の巨大建築物に同じことができるだろうか・・・・。普通に考えて無理ですよね。

著者近影(ウソ)

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