名古屋・東海ローカルCM 備忘録

名古屋を中心とした中京圏の70年代から90年代にかけて放送されていたCM動画を主に取り上げています。
動画サイトに数多アップされているCM動画を、自分が探しやすくするためのメモみたいなものです。
…のつもりで始めましたが、最近では単なる愚痴や共感を得られるあてもない儚い自己主張の場と化しています。

名古屋テレビグリーンキャンペーン

冬至十日前



風が冷たくなって、日が暮れるのが早くなってくると、このCMを普段以上に懐かしく感じるようになります。

今年の冬至は12月22日だそうで、一般的には冬至の10日前辺りが一番日の入りが早くなると言われています。まさに今日あたりが最も早く日が暮れる日ということになりますね。

NagoyaTV



今だったら簡単に映像を差し替えてしまうのでしょうが、昔はどうしても修正しないといけない場合はこうやって簡易的に(強引に)上から被せていました。せっかくの新ロゴも元の映像が変わらなかったら単に違和感にしかなりません。というか、この「街に緑を」時代のCMは、旧ロゴが添えられることでこそ胸がキュンキュンするんです。

でも、上のローマ字表記のロゴ自体がもう古典的に見えてしまうのも、それはそれで悲しい。

あえて言おう



人の記憶は、確実だったり、不確かだったり、そもそも不確かなのに確実だと信じているだけだったり、いろいろです。

全国紙 ガンダムブーム「Zから」記事が炎上 ファン反論「認めたくないものだな」(デイリースポーツ)

なぜこのような事実誤認が起きたか?。それは容易に解ります。いわゆるファーストガンダムの本放送当時は視聴率が低迷、予定話数の製作を取りやめ事実上番組打ち切りとなりました。後番組の『トライダーG7』は企画段階で対象年齢が下げられたくらいです。しかし放送終了前後からブームになったので、記事を書いた方は事実上の続編であるZガンダムからブームになったと勘違いしたというわけでしょう。でも、ファーストからZまでの間には、上に書いた「トライダーG7」や「ダイオージャ」、「ザブングル」、「ダンバイン」、「エルガイム」を経ています。「ガンダム」はブームが起きてもすぐにはテレビシリーズの続編が制作されなかったのです。

ただ、視聴率が低迷したとはいえ、キー局である名古屋テレビの視聴率は、東京地区の視聴率よりもかなり良いものだったようです。不思議なもので、『機動戦士ガンダム』の物語の舞台は東海地方でもありませんし(笑)、視聴者も特に地元のテレビ局が制作した番組だと意識してチャンネルを合わせるということもないはずなのですが、これに限らずとも地元制作番組はお膝元の地域で軒並み高視聴率を獲得するようです。これは同じく土曜日の夕方に放送されていた中京テレビの『お笑いマンガ道場』でも見られた現象です。

上にあげました『名古屋テレビグリーンキャンペーン』CMでも、「大事にしなくちゃね」って言ってますし、ガンダムの権利は会社の誇りとして守り続けていくものだと思っていたのですが、「手渡さなくっちゃね」・・・で、後に手放してしまいました。あぁ勿体ない、メ~テレさま。この辺、CBCが『天才クイズ』を何の躊躇もなくやめちゃったのと本当によく似ています。当時、幼稚園児から小学生だった私ですが、クレジットに表示される「名古屋テレビ」の文字を見てどれだけ誇らしく思ったことか。何度も何度も、口が酸っぱくなるまで “あえて” 言い続けますが、『お笑いマンガ道場』『天才クイズ』『機動戦士ガンダム』。。。。ともかく80年代の土曜日の夕方は名古屋が日本のテレビ史に誇れる、そんな時間だったのですよ。

街に緑を



80年代に放送されていた『名古屋テレビグリーンキャンペーン』CMです。何度も申し上げていますとおり、特にアラフォー世代の方にとってこのバージョンは、『丸辰ビタミンちくわ』『びわこ温泉紅葉パラダイス』『香嵐渓ヘビセンター』などのCMとともに、夕方の名古屋テレビで放送される定番のCMとして深く脳裏に刻まれているのではないでしょうか。15秒版もありましたが、頻繁に見かけたのはこちらの30秒版でした。70年代に放送されていたバージョン(1973年~)と90年代に放送されていたバージョン(1993年~)も現在メ~テレのサイト「環境への取り組み」ページにて公開されていますのでご覧になってみてください。

アニメーションのキャラクターデザインは佃公彦氏。中日新聞にて長寿連載されていた4コマ漫画「ちびっこ紳士」「ほのぼの君」の作者ですね。このアニメーションと、印象的なテーマ曲との相乗効果で、一気に子供時代の景色に脳内タイムスリップしてしまいます。夕暮れの街並み、その向こうに広がる山並みや夕焼け空の光景、夕餉の煮物や赤だしのいい匂い、お風呂の匂い、夏の蚊取り線香の匂いから冬の石油ストーブの匂い、若かった頃の両親の姿まで、全てがオーバーラップしながら頭の中を移り変わっていきます。たった30秒のCMを見ただけで、その何倍もの質量と密度の記憶が甦ってきます。そしてこれは、東海三県下で生まれ育った者限定で得られる共通の感覚です。ひとたび県境を越えたら、そこに住んでいる人たちには全く理解できないものなのです。

名古屋テレビの夕方が何故、当時子供だった世代にとって印象深くなるのかと言えば、他局よりもアニメの再放送が多かったことが言えます。『トムとジェリー』や『ウッドペッカー』のような外国物、『一休さん』や名古屋テレビ・日本サンライズ制作アニメの再放送、『新・オバQ』や『ジャングル黒べえ』といった藤子アニメの再放送が、とっかえひっかえ放送されていました。子供たちがチャンネルを合わせないわけはありません。

「名古屋テレビグリーンキャンペーン」は、戦災で失われた名古屋市中心部の緑化を目的として、当初「名古屋テレビグリーンスポット企画」という名称で開局1周年を迎えた1963(昭和38)年に開始されました。10秒の“グリーンスポット”を販売しスポンサー各社の協賛を得て、その売上で街路樹を購入の上、名古屋市をはじめとしたこの地方の地方公共団体に寄贈、市街地の緑化・美化の推進に寄与しました。70年代のキャッチフレーズは「わが街は緑」、80年代は「街に緑を」、90年代「みらいのこどもたちへ」でした。また、以前石原裕次郎の「白い街」という曲に絡めて久屋大通の緑化について述べましたが、セントラルパーク地下街も名古屋テレビの事業ですね。トヨタ自販(当時)、名鉄などを含めた9社での共同事業(現在の主要株主は6社)ですが、地下街の建設と併せて地上部の公園緑地化も行うという企図はまさしく「グリーンキャンペーン」の精神が盛り込まれていました。アニメーションの中にも、セントラルパークをイメージした道路と公園、また名古屋テレビが寄贈した栄の「希望の泉」であろう噴水が登場していますね。

現在、「グリーンキャンペーン」の名称は消滅していますが、「ウルフィ」によるエコ活動CMは年1本のペースで制作されて継続されています。

※追記(2017.3.5):CMは数年間同じものが放送されていたので、その間CM中のキャッチフレーズは変わりませんが、キャンペーン自体には各年毎に違うテーマが定められていました。

著者近影(ウソ)

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