名古屋・東海ローカルCM 備忘録

名古屋を中心とした中京圏の70年代から90年代にかけて放送されていたCM動画を主に取り上げています。
動画サイトに数多アップされているCM動画を、自分が探しやすくするためのメモみたいなものです。
…のつもりで始めましたが、最近では単なる愚痴や共感を得られるあてもない儚い自己主張の場と化しています。

シヤチハタ

みんなが喜ぶ



みんながしあわせになれたらいいとふと思うと、さだまさしさんが『しあわせについて』で既におっしゃっているのを思い出して、これは時代を超えた永遠のテーマなのかもしれませんが、他人の不幸が蜜の味だという方も一定数いらっしゃるのでしょうし、そういう方にとってはみんながしあわせになる世の中は許しがたいものなのかもしれません。だから、いつまで経っても良い世の中にならないんでしょうね。

完落ち



これがいつ頃発売されたものなのか、動画に補足説明がされていないのでわかりませんが、最後に「世界デザイン博」の案内がされていることから、80年代の終わりごろのものでしょうか。当時は電子手帳なるものがあって、住所録、電話帳、スケジュール管理などが行え、ビジネスマン必携のアイテムとして一世を風靡していましたが、それも携帯電話の登場によりすっかり姿を消してしまいました。この「TEZT」もその電子手帳を小型化しさらに筆記具機能も備えるという付加価値が与えられた製品だったというわけですが、あくまで電子手帳の異種というポジションである以上、電子手帳とともに世の中から姿を消してしまう運命にあったことは否めません。

笑福亭鶴瓶 連絡先の人数は「5000人くらい」 電話で親身に相談乗るも…切った後に「これ誰や?」(スポニチ Sponichi Annex 芸能)

160人分しか記憶できないのであれば、鶴瓶師匠の場合「TEZT」を32本持っていないといけなくなりますしね。

わたしのネーム



「水野」ではなく「美紀」のほうです。

そもそも「ネーム印」だから名前の方でいいのか、と一瞬思ってしまいましたが、「ネーム印」とは内部にインクを補充して朱肉なしで何度でも押印できるハンコのこと、つまり世間一般でいう「シャチハタ」のことで、ネーム印の「ネーム」は下の名前という意味ではありません。

ただ『シヤチハタ』さんではネーム印に、好みの書体やインクの色を選んだり、ロゴやイラスト印面にデザインできる「別注品」もオーダーできるとのことです。だから、「美紀」で作ることもできるし、作ってもいいってことなんですね。

オマケで釣る



なかなか正直なCMです。でも確かにそうですよね。いくらきれいごとを言っても、実際こういった「ノベルティ」や「プレミアム」は商品を購入してもらうきっかけづくりのために用意されているのですから。

ひとに優しく



箸の持ち方、人の悪口…「育ちの良し悪し」を感じた瞬間 「見た目で判断した自分を恥じた」の声も(Hint-Pot)

箸の持ち方が良いから人間性が優れているなんてことないですし、育ちの良し悪しは箸の持ち方が全てではない。その観点だけに固執したら、ほかに大事なことがいくらでもあるのに、それを見逃すだけの日々になってしまいますし、いつまで経っても本質は掴めないでしょうね。

結局これをお書きになった方も、「品」などという単なる概念を楯に、心の中で赤の他人のことを上げたり下げたりしている、その発想がそもそも品がないと言えないでしょうか。ひとに優しくない人が品など備えているわけないのです。

印章の印象



河野行革相「ハンコ」を一刀両断!賛同続々で行政手続きのオンライン化にも意欲(FNNプライムオンライン)

もうこうなったら止まらなさそうです。

ただ、今年すでに同じようなことが別の件で起こっていたような。なんだっけ・・・?。もう、すでに印象に残っていない・・・・。




思い出した、「9月入学制」だ。

いろいろないろ



私は子供のころから、いろいろな色がたくさんある場所やものが好きでした。具体的に言うと、文房具屋さんの絵具の棚、手芸用品店の毛糸の棚やボタン売り場、かき氷屋さんに並んだ各種シロップ、新品のクレヨンや色鉛筆のセット、などなど。

複数の色を織り交ぜた朱肉「わたしのいろ」が受注販売 テスト販売では即日完売の人気(ねとらぼ)

だからこの商品も、はじめ知ったときは一瞬で惹かれました。

コロナ渦の影響もあって、ハンコ不要論がにわかに言われだしていますが、ちょっとした発想の転換が、今後失われていくことになるかもしれない文化を遺してゆける、小さな抵抗になるのではないかと思います。

人工知能がカラー化した「戦前モノクロ写真」凍った日常が蘇る(SmartFLASH)

小さいころ、祖母に「昔は色が無かったの?」と聞いて、随分笑われたことを思い出しました。画像はモノクロというのが当たり前だったころの人たちは、その人生において、記憶はカラー、記録はモノクロ、という風な乖離が生じていたのでしょうね。ただ、私もここ数年モノクロ写真を見た際には、頭の中でこれがカラーだったらどんな感じなのだろうと変換しながら見るようにしていました。なぜなら、第二次大戦中アメリカ軍が日本の国土を空襲する際、戦闘機の翼に取り付けてあった「ガンカメラ」で撮影していた当時の日本の風景が、カラー映像だったことを知ったからです。紛れもなく昔の世界も色がついていたことをこの目で見て、それ以来モノクロ画像をモノクロのままで見終えてしまうことができなくなってしまったというわけです。

封印



とりあえず私から謝っておきます。申し訳ありません。

なにかと言われやすいご時世。『シヤチハタ』さんとしても封 “” してしまいたいCMなのかもしれません。

というか、一瞬でも課長が違うことを想像したということは、この女性に見られた覚えでもあったからでしょうか。とても目立つそうなので(笑)。

痴漢の烙印



なぜ部下の女性の頬に触れたんでしょう?。これ、今だったら「中村課長」が部下にセクハラをしたと捉えられてしまいかねない、そんな令和の世の中です。

シャチハタが魔の手にポン“痴漢撃退ハンコ”開発へ(テレビ朝日系(ANN))

私、学生時代に電車通学をしていたのですが、ある朝、ロングシートの一番隅(ドア近く)に座っていたところ、混み合う車内に数人の女子高生が乗ってきました。混み合っているし終点も近かったので、彼女たちは乗り込んだままそのドア付近に滞留していました。すると何を思ったかその中の一人が、ロングシートの隅の金属の仕切りに腰をかけるようにおしりを乗せてきたのです。現在の車両だとロングシートの隅はFRP製で、立客が腰掛けたりできないように斜めにカットされていたりするのですが、当時はただの金属の棒で、着席している乗客が肘掛にできるようになっている反面、腰をかけるにもちょうどいい高さに設置されていたのです。

確実に私の肩に女子高生のおしりが押し付けられている状況です。そもそも、そんなところにケツ載っけるなーっ(言葉が乱暴でスミマセン)と言いたいところですが、しかし混み合っている以上、先に座っているこちらも隣に腰掛けている乗客を逆側へ押しやるわけにもいきません。かといって、座るのをやめて立つのもおかしいし、もう既に立ち上がることができないほど自分のひざの前には立客で詰まっている。仕方なく身を縮めているとその女子高生が持っていたカバンで私の頭をガンッ!、と。

「この人、チカン」

と連れの子に訴えています。。

いや・・・、私は動くことはできないし、グリグリ押し付けてきているのは、どっち?、って。



『シヤチハタ』さんの今回の話題に対して持ち出すには全く向かないエピソードでしたね。失礼しました。でも、おしりを押し付けてきた女子高生のおしりに、逆に私が “冤罪” のハンコを押したとしたら、やはり私が “痴漢” になるというわけですね、結局。

終りに見た街



1982年の『シヤチハタ Xスタンパー』CMです。シヤチハタ株式会社様は名古屋ご当地企業として、全国に知らぬ者はいないであろうインキ浸透印の代名詞「シャチハタ」の生みの親ですね。もちろん企業名は名古屋のシンボル「金鯱」に由来しています。

シヤチハタ様のCMと言えば大野しげひささん。シヤチハタ提供の『マゴベエ探偵団』(名古屋テレビ)にも出演されてました。ただ、こちらのCMが放送された頃にはすでに番組は終了していたようです。



ところで、こちらの動画。山田太一原作の『終りに見た街』というドラマがアップされたものです。

このドラマを、当時リアルタイムで視聴しました(もちろん当時は愛知県に在住していたので、名古屋テレビでの放送を視聴したことになります)。当日のお昼頃に今で言う番宣の形で、静岡県の大井川鉄道でSLや古い駅舎を使って撮影が行われた、という模様が放送され、それがきっかけでそのまま夜の放送を見たというわけです。

あれから34年。タイトルこそ記憶していなかったのですが、ドラマ自体はこの日一度だけ見ただけだというのに、内容は未だに詳細に記憶していました。先ごろ、豊川市の桜ヶ丘ミュージアムで行われていた「豊川海軍工廠展」に伺い、今年初公開だったという、豊川空襲で犠牲になられた方々のご遺体の写真を拝見したのですが、そんなこともあって、実はつい数日前にもこのドラマの記憶を思い起こしたところだったのです。CMの動画をいろいろと探していて、偶然アップされているのを発見しましたが、タイトルは記憶していなかったのに、サムネイルを見て一瞬で「あのドラマだ!」と確信しました。

今、改めて拝見し、描写の凄みに改めて驚いています。本当に当時、これをゴールデンタイムに放送したのかと一瞬戸惑うほどです。現在ではゴールデンタイムはおろか、テレビでの放送自体できないかもしれません。ドラマの内容自体は実はSF作品なのですが、やはり、先の大戦当時の経験や記憶が各人に鮮明に残っていた時代だからこそできた、逃げの無いリアリティと言えるでしょう。そして、放送が可能か否か以前に、今のテレビのスタッフ達にはこの映像を作ることは絶対にできないと断言できます。

前述の「豊川海軍工廠展」では、遺体の写真の展示スペースは、内容が内容であることもあり、敢えてその区画を区切って目隠しをし、入り口に「凄惨な内容」である旨掲示して、子供への影響などを考慮し自身の意思で閲覧するよう断りを入れていました。今はそういう時代です。私がこの『終りに見た街』を見たのは小学2年生だったというのに…。

私が何故、このドラマを詳細に記憶していたのか。それははっきり言えば、このドラマが“トラウマ”になったからです。平成の時代に、大人たちが到達した「懸念」は、おそらく正しかったということになるのでしょう。でも、私はこのドラマを見て、トラウマになってよかったと、今では思っています。毒も栄養の一部になったのだと信じています。

翌週の同じ時間は、『21エモン』の放送であることが予告されています。藤子不二雄ファンだった私は、翌週も同じ時間にチャンネルを11に合わせたはずです。この振り幅の広さが80年代なんですね。

ともかく、終戦記念日の前日に偶然、いろいろな思いや記憶を呼び起こすことができました。
著者近影(ウソ)

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