この子に自分を責めさせてしまっていることが悲しくて仕方ない。
東海漬物
2022年02月11日07:01
この子に自分を責めさせてしまっていることが悲しくて仕方ない。
2019年04月30日09:41
泉ピン子さんが「きゅうりのキューちゃん」CMに出演されていたことがあったんですね。
その32年後の今年、同じ「きゅうりのキューちゃん」CMに笑福亭鶴瓶さんが出演されています。
先々週の土曜日に大阪へ行ったという話題をしましたが、それは鶴瓶さんの「鶴瓶噺」公演を観覧するためでした。
この「鶴瓶噺」、今年のテーマとして “ラジオ” が掲げられていました。ただ、全編を通してラジオにまつわるお話をされるというわけではなく、「鶴瓶上岡 パペポTV」(読売テレビ)や「きらきらアフロ」(テレビ大阪)などでおなじみの、身の回りに起こった出来事を思いつくままに話していくいつものトークスタイルに始まり、そのトークが終盤に近づいていく中でラジオに纏わるお話へと収束していく、そんな流れでした。
そして佳境に入ったところでトークを中断し鶴瓶さんがステージ脇へとはけると照明が暗転、ステージ上のスクリーンに過去鶴瓶さんがパーソナリティを務められてきた番組のスチール写真とともにその音源の抜粋が流れるというスライドショーが映し出されていきます。会場が大阪であるということもあってか、大阪でのラジオのお仕事メインで最近の番組から過去の番組へと展開。私は心の中で、やはり鶴瓶さんの中で名古屋でのお仕事はあまり印象的ではないものなのかな、と一瞬思いかけていると、最後「ミッドナイト東海」の字幕が登場したところでスライドショーが止まりました。
再び会場が明転すると、鶴瓶さんが舞台中央に戻ってきて、まだ「ミッドナイト東海」のパーソナリティに就任して間もない頃のエピソードが直接語られはじめたのです。
「ミッドナイト東海」は、1968(昭和43)年の春から15年続いた東海ラジオの深夜番組でした。最初期のパーソナリティには天野鎮雄さんも名を連ねているほか、のちにアマチンさんの紹介で森本レオ(当時、玲夫)さんも参加、このことが彼が世に出るきっかけとなります。以降、つボイノリオ(当時、坪井のりお)さん、蟹江篤子アナ、宮地佑紀生(当時、由紀男)さん、兵藤ゆきさん、河原龍夫さん等々、のちに名古屋の放送業界を代表することになる錚々たる面々が番組を担当していき、その中に六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りして間もない駆け出しの落語家であった鶴瓶さんも含まれていたというわけです。
鶴瓶さんがレギュラーになってしばらくは、ハガキを募集しても全く送られてこず、リスナーに成りすまして自らハガキを書き、それを読んでいたのだそうです。ところがある日、リスナーからの電話を受け付ける「四畳半のコーナー」に、医者である親の意向で全寮制の学校へと転校することになった名古屋市内在住の中学生から電話がかかってきます。はじめは普通に彼の相談に乗っていたのですが、急にその中学生が電話を切ろうとしだしたため、なぜかと聞くと、部屋に父親がやってきたからとのこと。鶴瓶さんは咄嗟に父親に電話を替わるように言います。電話口に出た父親は最初から強圧的で、鶴瓶さんはそれに対しはじめのうちは下手に出ていたものの、次第にヒートアップしていき、ついにはその父親と放送中にも拘らず大喧嘩になってしまいます。ただ、それで終わればまだよかったのですが、電話を切ったあと「○○区の○○病院には行くな!」と連呼したことが止めを刺し、局側から降板を言い渡されてしまうのです。
ところが、降板が決定すると、それまで全く反応がなかった番組に二千通を超える嘆願の署名が寄せられます。このことで降板は回避され、その後鶴瓶さんが担当する『ミッドナイト東海』は人気番組として名古屋の深夜を代表する番組のひとつとなります。またその後も『つるべの音楽に乾杯!』(東海テレビ)や『スジナシ』(中部日本放送)など、継続して名古屋での仕事は続いてゆきました。鶴瓶さんは近年、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』で、この降板回避の一件に対して「名古屋の人間として認知された」と語っています。
ただ、今回の公演を拝見して、私は鶴瓶さんが「名古屋の人は大阪が嫌いなんです」と仰ったのが引っかかりました。この場合の「名古屋」は、名古屋市やその周辺の町という狭義の意味ではなく、愛知県全域や岐阜県南部、三重県北部のいわゆる「中京地方」という意味なのですが、この時だけの言い回しとしてふっと口から出てしまったものというわけではなく、他のメディアなどでも同様の発言を度々されていることを鑑みると、鶴瓶さんの中では特に強い認識として常に頭の中にあるもののようです。それがひとえに、『ミッドナイト東海』のパーソナリティに就任して2~3ヶ月程度リスナーからの反応が薄かったことが起因しているわけですが、降板撤回の嘆願を寄せたのも他でもない「名古屋」のリスナーであるわけですし、その後も名古屋での仕事で培った人間関係が現在に至るまでの彼の活動に大きな影響を与えてきたはずなのですが、どうもそれらと、それ以外の「名古屋」を、全く別個のものとして捉えているようなのです。
これって、私には先日も話題にした桂ざこばさんの味噌煮込み屋での話にも繋がっているような気がするのです。つまり、「名古屋の人が大阪を嫌っている」のではなく、「大阪の人が名古屋を下に見ている」。はじめからそういう意識で来ているので、彼らは、本来はなんでもないことまで全てを悪く捉えてしまっているわけです。
中京地区の人たちが大阪の人が嫌いかどうかに関しては、鶴瓶さんより以前から大阪のタレントさんが名古屋で活動しています。以前も話題にした上岡龍太郎さんのケース(ご出身は京都ですが)もそうですよね。でも嫌われてなどいません。普通に根付いているわけです。ただ、大阪で事実上干され名古屋に活路を見出した若い上岡さんに対して、藤本義一さんなどは「これは都落ちではない。人情に厚い関西で仕事をするより、情に薄い名古屋の人々に揉まれて苦労するほうが、芸人としては大きくなれるんだ」とアドバイスして送り出したというエピソードがあります。これこそが、大阪の人たちの名古屋の人たちに対する認識であり、こう思いながら大阪の人々は名古屋へやってきて人々と接しているというわけです。そして、これが現在大阪では美談として語られています。のちに上岡さんが大阪に戻れて大物芸人になったから美談ですが、このまま上岡さんが名古屋でくすぶったのであれば世にも出なかった話です。そもそも大阪の放送業界は、若い上岡さんを薄情に “干した” 側であるのにも関わらず、上岡さんを受け入れた側の名古屋をスケープゴートにして、あとになって自分たちのことだけを美化しているというわけです。
私たちがどんなに平常心で向き合おうとしていても、端からそれを突っぱねるような意識で来られてしまっては、こちらからそれを覆すのは容易ではありません。また、それが分かってしまうと、むしろこちらは身構えてしまいます。
・・・私がヒートアップしてしまいました。
藤子不二雄さんの漫画『オバケのQ太郎』。一大ブームにまでなった作品ですが、実は連載開始当初は全く人気がなく、読者アンケートでも常に下位で、わずか数回で打ち切りになっているのです。しかし、連載が終了した途端、全国から嘆願の声が殺到し急遽復活。ついにはアニメ化までされるようになったのです。藤子両氏はのちに不思議な現象だったと語っていますが、もちろんそれに対して世の中を訝しんだり、そういう反応を見せた読者を蔑んだりしていません。
ですから、こういった話は名古屋だけの話じゃないですし、悪く捉えるようなことではないと思うのです。
「キューちゃん」に始まり「Qちゃん」に終わる。まことにおあとがよろしいようで・・・。
2018年07月19日08:45
43年も前の「きゅうりのキューちゃん」CMです。
CMに登場する「特級福神漬」も「しゃれ味生姜」も、全く同じ商品名で現在も販売されています。そんなに昔から田原(豊橋)から全国展開していたのも驚きです。
・・・なんて思っていたらとんでもない、なんと最初のテレビCMは1963(昭和38)年に放映開始されていたとのこと。また、その時のCMキャラクターは坂本九さんだったそうです。昭和30年代には関東に工場を設け既に全国進出していたんですね。
2016年08月18日11:49
昭和50年代、休日に車で伊良湖岬へ向かおうとすると、今よりも随分時間がかかったものでした。道路事情があまり良くなかったことに起因していたのでしょう。混みあう豊橋市内を抜けて暫く走ると田原の街が見えてきます。その入り口辺りに「東海漬物」の工場がありました。大々的にCMを放送している会社の工場がこんなところに(失礼!)あるなんて子供心に不思議でなりませんでした。
このCMも昭和53年放送のもののようです。こんなにも昔から…。「きゅうりのキューちゃん」という商品名は、こんなにも長い期間に亘り全国的に通用しているんですからちょっと誇らしいです。
著者近影(ウソ)
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