「広まったのはみなさんのお陰」名古屋名物・台湾ラーメン 味仙の創業者 郭明優氏さん死去(メ〜テレ(名古屋テレビ))

昭和の時代、名古屋にうまいものなしなどと言われていたものですが、それは単に他地域からのネガティブキャンペーンで、実際には何十年も前から名物料理は多い地域だったというのは、当ブログで何度も主張してきたとおりです。

ただ、それがひとたび「名古屋めし」なる括りが誕生するや否や、全く逆の評価に変わったわけですが、無論それは正当な評価へと軌道修正がなされただけのことと言って良いと思います。

その「名古屋めし」の周知に最大の力を発揮したのが、実は台湾ラーメンなのかもしれないと私は思っています。味噌煮込みうどんや味噌カツに関しては、純然たる “名古屋名物” なのです。そこへ、名前のインパクトとその味の特徴から、単なるオーソドックスな名物料理の範疇を超えた台湾ラーメンがまさしくスパイスとなり、名古屋めしブームを牽引したのではなかったかと思います。郭さんがいなかったら、台湾ラーメンを世に送り出していなかったら、もしかしたら名古屋めしブームはもう少し違ったものになっていたのかもしれませんよ。