結局は「政争」なんだと思います。

言い出した人が誰か、とかで全然変わって来ていたんじゃないでしょうか。

あと、これが、名古屋の話じゃなかったら・・・

・・・とかね。


どうなる?名古屋城木造化。城郭考古学者・千田嘉博教授に聞く!(大竹敏之)


人(?)質を取ったほうの勝ちだということがよくわかります。

でも、何かを失うことの懸念と、発想の転換の必要性、という一見矛盾しかねない大義を、聞き手の問いかけに対し辻褄があうように交互に繰り出しておられるようですが、私から見ればそれこそ「ああ言えばこう言う」にしか聞こえない場面も多く見受けられますし、時間が経つと、なんだか前に言っていたことを微妙に踏み外してくるようなことをおっしゃることが多いので、突っ込みどころも満載です。

そもそも、発想の転換をおすすめされるんでしたら、何を形にするかというポイントではなく、お互いのその凝り固まった大義名分をガラッと転換すればいいんです。

名古屋城の天守は、昭和20年のアメリカによる大空襲までは “ほんまもん” がそこに存在していたのですから、焼失する直前の姿に、ただ戻せばいいんです。江戸時代の姿とか、現代の常識に則したとか、見当違いも甚だしい。どちらをとってもウソにしかならない。

本物を作るとは、そういうことです。ご両人。