名古屋・東海ローカルCM 備忘録

名古屋を中心とした中京圏の70年代から90年代にかけて放送されていたCM動画を主に取り上げています。
動画サイトに数多アップされているCM動画を、自分が探しやすくするためのメモみたいなものです。
…のつもりで始めましたが、最近では単なる愚痴や共感を得られるあてもない儚い自己主張の場と化しています。

2019年04月

ミッドナイト東海漬物



泉ピン子さんが「きゅうりのキューちゃん」CMに出演されていたことがあったんですね。

その32年後の今年、同じ「きゅうりのキューちゃん」CMに笑福亭鶴瓶さんが出演されています。



先々週の土曜日に大阪へ行ったという話題をしましたが、それは鶴瓶さんの「鶴瓶噺」公演を観覧するためでした。

この「鶴瓶噺」、今年のテーマとして “ラジオ” が掲げられていました。ただ、全編を通してラジオにまつわるお話をされるというわけではなく、「鶴瓶上岡 パペポTV」(読売テレビ)や「きらきらアフロ」(テレビ大阪)などでおなじみの、身の回りに起こった出来事を思いつくままに話していくいつものトークスタイルに始まり、そのトークが終盤に近づいていく中でラジオに纏わるお話へと収束していく、そんな流れでした。

そして佳境に入ったところでトークを中断し鶴瓶さんがステージ脇へとはけると照明が暗転、ステージ上のスクリーンに過去鶴瓶さんがパーソナリティを務められてきた番組のスチール写真とともにその音源の抜粋が流れるというスライドショーが映し出されていきます。会場が大阪であるということもあってか、大阪でのラジオのお仕事メインで最近の番組から過去の番組へと展開。私は心の中で、やはり鶴瓶さんの中で名古屋でのお仕事はあまり印象的ではないものなのかな、と一瞬思いかけていると、最後「ミッドナイト東海」の字幕が登場したところでスライドショーが止まりました。

再び会場が明転すると、鶴瓶さんが舞台中央に戻ってきて、まだ「ミッドナイト東海」のパーソナリティに就任して間もない頃のエピソードが直接語られはじめたのです。

「ミッドナイト東海」は、1968(昭和43)年の春から15年続いた東海ラジオの深夜番組でした。最初期のパーソナリティには天野鎮雄さんも名を連ねているほか、のちにアマチンさんの紹介で森本レオ(当時、玲夫)さんも参加、このことが彼が世に出るきっかけとなります。以降、つボイノリオ(当時、坪井のりお)さん、蟹江篤子アナ、宮地佑紀生(当時、由紀男)さん、兵藤ゆきさん、河原龍夫さん等々、のちに名古屋の放送業界を代表することになる錚々たる面々が番組を担当していき、その中に六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りして間もない駆け出しの落語家であった鶴瓶さんも含まれていたというわけです。

鶴瓶さんがレギュラーになってしばらくは、ハガキを募集しても全く送られてこず、リスナーに成りすまして自らハガキを書き、それを読んでいたのだそうです。ところがある日、リスナーからの電話を受け付ける「四畳半のコーナー」に、医者である親の意向で全寮制の学校へと転校することになった名古屋市内在住の中学生から電話がかかってきます。はじめは普通に彼の相談に乗っていたのですが、急にその中学生が電話を切ろうとしだしたため、なぜかと聞くと、部屋に父親がやってきたからとのこと。鶴瓶さんは咄嗟に父親に電話を替わるように言います。電話口に出た父親は最初から強圧的で、鶴瓶さんはそれに対しはじめのうちは下手に出ていたものの、次第にヒートアップしていき、ついにはその父親と放送中にも拘らず大喧嘩になってしまいます。ただ、それで終わればまだよかったのですが、電話を切ったあと「○○区の○○病院には行くな!」と連呼したことが止めを刺し、局側から降板を言い渡されてしまうのです。

ところが、降板が決定すると、それまで全く反応がなかった番組に二千通を超える嘆願の署名が寄せられます。このことで降板は回避され、その後鶴瓶さんが担当する『ミッドナイト東海』は人気番組として名古屋の深夜を代表する番組のひとつとなります。またその後も『つるべの音楽に乾杯!』(東海テレビ)や『スジナシ』(中部日本放送)など、継続して名古屋での仕事は続いてゆきました。鶴瓶さんは近年、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』で、この降板回避の一件に対して「名古屋の人間として認知された」と語っています。






ただ、今回の公演を拝見して、私は鶴瓶さんが「名古屋の人は大阪が嫌いなんです」と仰ったのが引っかかりました。この場合の「名古屋」は、名古屋市やその周辺の町という狭義の意味ではなく、愛知県全域や岐阜県南部、三重県北部のいわゆる「中京地方」という意味なのですが、この時だけの言い回しとしてふっと口から出てしまったものというわけではなく、他のメディアなどでも同様の発言を度々されていることを鑑みると、鶴瓶さんの中では特に強い認識として常に頭の中にあるもののようです。それがひとえに、『ミッドナイト東海』のパーソナリティに就任して2~3ヶ月程度リスナーからの反応が薄かったことが起因しているわけですが、降板撤回の嘆願を寄せたのも他でもない「名古屋」のリスナーであるわけですし、その後も名古屋での仕事で培った人間関係が現在に至るまでの彼の活動に大きな影響を与えてきたはずなのですが、どうもそれらと、それ以外の「名古屋」を、全く別個のものとして捉えているようなのです。

これって、私には先日も話題にした桂ざこばさんの味噌煮込み屋での話にも繋がっているような気がするのです。つまり、「名古屋の人が大阪を嫌っている」のではなく、「大阪の人が名古屋を下に見ている」。はじめからそういう意識で来ているので、彼らは、本来はなんでもないことまで全てを悪く捉えてしまっているわけです。

中京地区の人たちが大阪の人が嫌いかどうかに関しては、鶴瓶さんより以前から大阪のタレントさんが名古屋で活動しています。以前も話題にした上岡龍太郎さんのケース(ご出身は京都ですが)もそうですよね。でも嫌われてなどいません。普通に根付いているわけです。ただ、大阪で事実上干され名古屋に活路を見出した若い上岡さんに対して、藤本義一さんなどは「これは都落ちではない。人情に厚い関西で仕事をするより、情に薄い名古屋の人々に揉まれて苦労するほうが、芸人としては大きくなれるんだ」とアドバイスして送り出したというエピソードがあります。これこそが、大阪の人たちの名古屋の人たちに対する認識であり、こう思いながら大阪の人々は名古屋へやってきて人々と接しているというわけです。そして、これが現在大阪では美談として語られています。のちに上岡さんが大阪に戻れて大物芸人になったから美談ですが、このまま上岡さんが名古屋でくすぶったのであれば世にも出なかった話です。そもそも大阪の放送業界は、若い上岡さんを薄情に “干した” 側であるのにも関わらず、上岡さんを受け入れた側の名古屋をスケープゴートにして、あとになって自分たちのことだけを美化しているというわけです。

私たちがどんなに平常心で向き合おうとしていても、端からそれを突っぱねるような意識で来られてしまっては、こちらからそれを覆すのは容易ではありません。また、それが分かってしまうと、むしろこちらは身構えてしまいます。




・・・私がヒートアップしてしまいました。

藤子不二雄さんの漫画『オバケのQ太郎』。一大ブームにまでなった作品ですが、実は連載開始当初は全く人気がなく、読者アンケートでも常に下位で、わずか数回で打ち切りになっているのです。しかし、連載が終了した途端、全国から嘆願の声が殺到し急遽復活。ついにはアニメ化までされるようになったのです。藤子両氏はのちに不思議な現象だったと語っていますが、もちろんそれに対して世の中を訝しんだり、そういう反応を見せた読者を蔑んだりしていません。

ですから、こういった話は名古屋だけの話じゃないですし、悪く捉えるようなことではないと思うのです。



「キューちゃん」に始まり「Qちゃん」に終わる。まことにおあとがよろしいようで・・・。

風が吹いたらご当地CM その2



例えば、日産のCMにカローラが登場したら、あなたはそのCMを日産のCMだと言い切れるでしょうか。

言い切れないでしょう?。

それと同じです。私にはこのCMを長野のCMと言い切ることができないのです。

Safety Drive Safety Society



1分間、1カットのみ。

よちよち歩きの幼児に手を引かれる老人が、ゆっくりゆっくりと横断歩道を渡るシーンを、我々はあたかも天上から見守る神のように見つめ続けるしかできません。いや、次の瞬間、何か良くないことが起こるのではないかとハラハラすることだけはさせてもらえるみたいです。結局無事に渡り終えて、ホッと胸をなでおろす。この切ない1分は、いや十数秒・・・、一瞬・・・、は今もこの瞬間、数え切れないほど世の中のどこかで繰り返されている。

今から43年前・・・1976(昭和51)年の『トヨタ自動車』CMです。

このCMが制作された頃に明確だった強者と弱者の関係は、いまや混沌としています。かつて弱者とされた世代が今や強者側となる可能性もあるし、かつての強者だった世代が弱者とされる世代に突入している。しかし世代は関係ないと思います。昨日も述べましたとおり、皆が自らの世代・年齢に謙虚になればいいのです。

この度の一件で私が思ったのは、自動運転の早期実現でした。ただ、その実現には必ず「安全」と言う条件が付されなくてはなりません。でも、その「安全な自動運転」が実現し、「自動運転社会」が形成されるようになれば、二度と悲劇は起こらなくなるはずです。義務化をするならこの自動運転を義務化すればいいのですし、どうしても車に頼らざるを得ない人からその手段を奪うようなことをしなくてもすむようになります。強者と弱者の関係性が混沌としているからこそ、特定の条件に犠牲を押し付けるようなことがあってはならないのです。

『トヨタ自動車』のCMはこの地方のご当地CMと言ってしまっていいのかですって?。いえいえ、いいのです。だって、上に書いたような社会の実現の可能性は、この愛知という地域の手にかかっていると言っていいのですから。

行く道来る道



自分の世代と、それ以外の世代、という距離感はあって当然だと思います。でも、同世代を背に隠し、自分のルーツや自分の遺伝子に関わらない世代を取り上げてバッシングする風潮は薄気味悪いです。

あの頃の40代と今の私の年齢が同じだということは肝に銘じております。私は、自分の年齢には謙虚に生きたい。

恋の湯治場



榊原温泉のサイトには「恋の湯治場」と記されています。

これってつまり、榊原温泉では、恋に傷ついた女性がふらっとやってきて、その傷を癒している・・・ということなのでしょうか。それも、このCMに出演しているようなかわいらしい女性が。

明日から10連休。オジサンの妄想は広がってゆきます。




ちなみに、私は10連休ではありません。

ザ、じゃダメ



三昧を「さんまい」と濁らずに読む場合は、仏教用語なのだそうです。でも「“サン” ジルシ」だからこその、「あじ “さん” まい」というのもあるのでしょうね。

知的なゲーム



1983(昭和58)年の『セントラルパーク地下街』のCMです。

ファッションセンス皆無と言われている私にとっては、それに加えて知的ではないと言われているわけですから、踏んだり蹴ったりですよ。

秘められた全貌



このCM曲は原田真二さんの「プロポーズ」という楽曲だそうですが、現在に至るまで正式に発表されていないのだそうです。タイアップ曲として制作された楽曲であることは間違いなさそうですが、当初からCMで使用される部分のみ制作されその他の部分は制作される予定がなかったのか、完全版が収録されているのにも拘らず原田さんの意向で発表が見送られたのか、いろいろ考えられますね。タイアップ曲には様々なパターンがあるようで、他の例を挙げると、「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ)のテーマ曲として大ヒットとなった岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」も、当初は番組使用部分のみ制作されたものの、放送開始後反響が高かったために、あとになって急遽、レコード発売のためにその他の部分が制作され、タイトルがつけられたのだそうです。

お客様は悪魔です



加藤敏彦先生はお亡くなりになっていたと聞いたのですが、某講師派遣企業のサイトには未だにお名前が挙がっているのです。これは一体どういうことなのでしょう。

閑話休題。

「天ぷらの衣」をはがして食べる女性客に激怒…店主は「追い出し」てよいのか?(弁護士ドットコム)

少し前の話題になりますが、いろいろと引っかかりましたので。

この記事のコメント欄を見ていくと、驚くほど店主側を擁護する声に溢れています。確かに天ぷら店に来て天ぷらを食べたくないというのは “行儀がよくない” と思いますよ。でも、追い出すほどのことか?とも思います。コロモを残していた女性も、合コンの会場だったので来店しただけで天ぷらを食べたかったわけじゃない、という反論をするのでしょうが、その一回の食事のコロモでどれだけお腹にお肉が付くのか、いささか疑問です。コロモを残した分をすんなり超えるようなもっと別の不摂生とかしてないんでしょうかね。

で、

この話題が報じられて、すぐに下の動画を思い出しました。



今回の天ぷら店の一件では店主側を擁護する声で溢れているのに、このざこば氏の件では全く逆で、某味噌煮込み店に対し激しいバッシングが展開されています。また驚くことに、この動画のみならず、ネット上のあちこちでこの件について扱われていて、ご他聞にもれず論点は飛躍し、この地方の食文化や、地域性に至るまでの執拗なバッシングへと論理は展開しているのです。

そもそも、さこば氏は味噌煮込みを食べたくないのにさこば氏以外の同行の方(身内?)に多数決で押し切られたことでざこば氏の機嫌が悪くなっている。じゃあ、嫌なら同行の方に不満をぶつけたら良いのにもかかわらずざこば氏は “外弁慶” とでも言いましょうか、身内にはからっきしのようで、そこへは憤懣を持っていけないので、お店に絡んでいるようにしか見えません。だいたい同行の方も彼の性格を知っているはずで、無理やり連れて行けばこうして癇癪を起こすのはわかっているはずなのに、同時に自分たちには強く出てこないことも分かっているので、もはや適当にあしらってしまっているわけです。

ここでおさらいをしてみましょう。

合コンに参加した女性は、合コンに参加するために来店したのであって、天ぷらを食べるのが目的で来店したわけではない。ざこば氏も、同行者が希望したので仕方なしに来店したのであって、味噌煮込みを食べたいわけではない。全く一緒ですね。ではお店の側に立って見てみると、天ぷら屋さんとしては、天ぷら屋なので天ぷらを食べてくれと主張している。味噌煮込み屋さんも、味噌煮込みのお店なので味噌煮込みを食べてくれと主張している。これも全く同じです。では再び客側へと視点を戻すと、天ぷらも味噌煮込みも、食べたくない者に対してどうして店側が客に強制する権利があるんだ、という不満や怒りが生じる。しかしこれを受けて天ぷら屋さんは、天ぷら食いたくないならそもそも天ぷら屋になんて来るんじゃないよ!と、彼女たちを追い出した。味噌煮込み店は・・・特にざこば氏を追い返したとかはありませんね。ここが違っているわけですが。

ちなみに、ざこば氏の言う、有名人だからと高価なメニューを見せたというのがよくわかりません。だって、私があの店(あ、言っちゃった)に食べに行っても金額は高いです(笑)。ざこば氏の言う通りならメニューが安価なものと高価なものと二種類にわかれているということになりますし、実際そうだったとして、お店の人が客にメニューを薦める際に廉価版から薦めるなんてことも通常ありません。それをざこば氏が自身が有名人だからお店がふっかけてきているなどという断定をするのは全くの自意識過剰ですし、金額のことでとやかく言っておきながら、そんな高いものを残したやったぞ風な物言いは矛盾していますし品がありませんよ。

お店のわがままに平伏せとまでは言いません。でも、「お客様は悪魔」の場合だってあるのです。

(関西に関する話題が続きましてすみません)

高速バスは拘束バス



名古屋で高速バスに乗り遅れた客 バスを追いかけ立ちふさがりトラブル バス会社「停留所以外で人を乗せるのは法律上禁止」(中京テレビNEWS)

私は高速バスが好きでよく利用しています。先日も、神戸三宮から名古屋駅まで名鉄の高速バスを利用しました。料金の魅力もあるのですが、やはりのんびりと移動できる良さもあったりします。所要時間が3時間とかあると、眠ったりするにもちょうどいい感じなんですよね。

現在の高速バスは、バス自体も非常に快適な車両で各社趣向が凝らされていたり、同一の区間に様々な事業者が参入していて選択の幅もあったりします。私が子供の頃、35年前とかですとまだこれほど多くの路線はありませんでした。当時の高速バスの代表格だった「東名バス」に関しては、今のような大きな街を点と点とで結ぶという運行形態ではなく、小刻みに高速道路上に設置されたバス停に停まりながら(ただし、普通の路線バス同様降車ボタンが押されない場合と停留所に乗客が待っていない場合は通過)大都市間を結ぶという運行形態でしたので、今回のトラブルのように、ある便に乗り遅れたとしても別の停留所へ先回りして乗り込むことができたりする場合もレアケースながらあったりしました。現在の高速バスは、どちらかというと “都市間ツアーバス” という呼び方をしたほうが実態に即しているのではないかと思います。

多くの方々の意見同様、もし乗り遅れた場合でも、名古屋駅で20時台ということであれば新幹線も近鉄もまだ使える時刻です。それでもこの男性がこれだけ必死に乗り込もうとしたわけは、せっかく安い料金で移動しようと高速バスを予約していたのに、その料金分を丸々ドブに捨てる羽目になるのに加え、当初浮かせようとしていた新幹線なり近鉄なりの料金を支払わなければならないという、いわば “一兎を追って一兎も得ずケガをしてしまう” 的な損をしてしまうことになるからではないでしょうか。

私も昨年末、暮れの東京六本木界隈を全力疾走していました。某超高層ビルで開催されていた催し物に行ったのですが、前売チケットを事前購入していたにもかかわらず、そのイベントでは当日券を購入するお客さんと一緒に並ばせるというやり方を取っていたために、全ての来場者が入場まで1時間待ちという状況になっていました。おそらく超高層ビルの上のほうの階でのイベントだったために、エレベーターのキャパシティなどを考慮して入場そのものを規制したかったがための措置だったのではないかと思っているのですが、おかげで予約しておいた高速バスの時間に間に合わなくなりそうになってしまったのです。六本木からバスタ新宿まで大江戸線を使って20分程度は確実にかかりますし、大江戸線は地下深いところを走っているために、ホームにたどり着くだけでも何分もかかってしまいます。名古屋・大阪間であれば他にも代替手段はいくらでもありますが、私の住む地方の街では東京で乗り遅れた場合の代替手段はほぼなくなってしまいます。結局、師走の街でオジサンがひとり汗だくになってなんとか間に合ったというわけですが、今回の名古屋でのトラブルを引き起こした男性は、乗り遅れた以上早々にあきらめて、大阪へ帰る別の手段に頭を切り替えるべきだったのです。そして、その損は今後の自分への戒めにするべきです。

ところで、
この一件を報じる各記事に寄せられる意見には、この男性が名古屋の方であると言う断定が相変わらず多いです。むしろ、私が見た限りではこの男性が大阪の方であるという断定をされている方はひとりもいませんでした。でも、普通に考えて、その日の夜の大阪へ向かう便で、大阪着は日付が変わる前ということですから、前乗りで大阪へ向かうために利用しようとしていた方(つまり中京地区の方)という可能性はかなり低いのではないかと思うのですが、どうでしょう。朝まで漫画喫茶やカラオケボックスに滞在すればかなり費用は抑えることができますが、これがもしビジネスホテル利用ということになれば、朝の新幹線で大阪に向かったほうが何分の一かの所要時間でむしろ費用はかからないはずです。そもそも、今回のトラブルが世に知られるきっかけとなった動画に収められている別の女性客もバリバリの関西弁を話されていますし、この乗務で一日の行程を終えるであろう運転手の方もバリバリの関西弁なのです。確かに私の意見も想定に過ぎませんが、でもこれが名古屋と大阪が逆の事例だったら、今度は私がいま述べたような理由を挙げて、トラブルを起こした男性が名古屋の方であると言う断定が早々にされているはずだと思いますよ。

著者近影(ウソ)

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